総合的な咀嚼としてのステーキ味

 僕はポテトチップスが好きです。じゃがいもを薄切りにし、油で揚げ、そこに味をつけるだけというシンプルさがいい。ポテトチップスを1枚手に取れば、それがどのようにして作られたのかがわかる。グミやチョコレートと違って、知識や想像力というものをあまり必要としない。

 

 しかし中には理解に苦しむポテトチップスも多い。例えばステーキ味や鶏モツ煮味、焼餃子味のポテトチップスがそれである。これらの商品に、僕はいろいろと疑問を抱いている。

 

 第一に、食べてみても正直それがステーキ味なのかよくわからないし、そもそも僕は「ステーキ味」なるものの存在にどうも納得がいかない。ステーキの味とは、お肉の味、塩コショウの味、ステーキソースの味を舌で同時に知覚することで出現する、いわば総合的な咀嚼としての味であって、「ステーキ味」というものが1個の味として独立して存在するわけではないと僕は思うのである。だからポテトチップス・ステーキ味というのが原理的に間違っているという気がしてならない。もしメーカーが僕の言うステーキの味をポテトチップスで再現しようとしているなら、それは「ポテトチップス・総合的な咀嚼としてのステーキ味」と名付けるべきではないか。いくぶんまずそうではあるけれども。

 

 「ステーキ味」か「総合的な咀嚼としてのステーキ味」かはさておき、ステーキの味をメーカーはどうやって再現しているのか、ということも僕にはよくわからない。例えばビーフステーキの塩味やら酸味やら甘みやらを機械で測定して数値化し、それを科学調味料で再現したパウダーを揚げたてのじゃがいもにまぶしているのだろうか。あるいは冷凍したビーフステーキをガリガリ削って粉にして、それをそのままじゃがいもに振りかけているのか。どちらにせよ、僕はそういうのがあまり健全な調理だという気はしない。

 

 だいたい、ポテトチップスはじゃがいもが主役なのだからじゃがいもを楽しむべきである。言い換えれば、ポテトチップスの味は原則的にじゃがいもにつけることのできる味にしたほうがよい。ポテトチップスにはうすしお味や、しょうゆ味や、バター味など色々あるが、どれもじゃがいもにかけたって成り立つ味である。しかしステーキ味というのは明らかにおかしいだろう。じゃがいもにステーキをかけたって、それはじゃがいもとステーキである。ステーキ味のじゃがいもにはならないし、そうする必要性も感じられない。じゃがいもはじゃがいも、ステーキはステーキで食べるべきである。

 

 まあそういうわけで、この手の味のポテトチップスを自分で買って食べようとは思わない。しかしお菓子会社に入ってこういう味を考えるのは、なかなか楽しそうな気もする。もしそうなったら、僕は「ポテトチップス・総合的な咀嚼としてのかつ丼味」とか「総合的な咀嚼としてのお寿司味」なんかを提案したいと思う。